それは、偶然の出会いから始まった。
2014年12月、一つの出会い。日本酒文化の会の理事として、東京で、「武蔵の國 酒祭り」を企画した小宮が、知人片野さんの紹介で、堺で祖父の代まで酒蔵を営ん でいた女性、益田美保さんと、横浜中華街の「パパダビデ」で昼食会。この時の出 会いから、益田酒造復興計画が始まった。その場で話したこと、それは、イタリア のアッシジのこと。益田さんは、アッシジの市長から呼ばれているという。アッシ ジは、小宮の示唆(「聖地アッシジの対話」という本をプレゼント)で、沖守弘さ んが、2010年10月にマザーの生誕100年を記念して「マザー・テレサ写真展」を 開催した聖フランチェスコ大聖堂がある、キリスト教の最も重要な聖地のひとつで ある。彼女によれば、アッシジにはマザー・テレサ会というのができていると いう。お互い、これは、縁ですね、と言って別れる。マザーは、今年、聖人になる ことが決まっており、2016年9月5日に列聖式が行われることになっている。
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東京とローマ メールのやり取り
ローマ在住の益田さんは、日本酒のイベントに関するコーディネーターや在イタ リア日本大使館で日本酒を紹介するディレクターをやったりしている。したがって、 彼女は、日本酒がブームのフランスと比べて、同じワインの国でも、イタリアでは、 まったくマーケットができていない理由をよくわかっている。では、イタリアの 料理学校で講座をやろう。そこに、蔵元に来てもらって、日本酒をプロモーション しよう。同時に、輸出の体制も固めつつ。こうしたやり取りの中で、益田酒造のお 酒を復興させようということになった。しかし、酒蔵を復興させるということは、 至難の技だ。それは、資金の問題だけではなく、酒造免許というのは、新規発行と いうのは、事実上、不可能と言われれいるからだ。したがって、既存の免許を譲渡 してもらう(廃業を考えている会社を、会社ごと買収するのが、もっとも知られて いるやり方)のが、一番現実的な方法のようだ。こういうシビアな現実があるのは わかっていたが、ある偶然が、後押しをしてくれたのだ。
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ある偶然、日本酒文化の会の会長、KKさん
酒蔵のいうのは、やはり地酒という言葉があるくらいで、小宮が設立した日本酒文化の会の会長、KKさんの存在があった。今年で95歳になるKKさんは、益田さん と同じ堺出身。益田さんの父親は、今も健在で91歳だが、KKさんと同じ名門、三 国ヶ丘高校の出身だということもわかった。そして、KKさんのお陰で、堺市出身 で、堺市東京事務所の代表や、堺市出身で東京で活躍されている方たちが、 「金の鳩」の復刻に関心を持っていただいた。「金の鳩」と益田酒造が、単な る日本酒の復刻ということ以上に、それが、堺出身の方たちですら意識してい ない、堺という特別な町の歴史の深層を掘り起こし、堺の未来へ何かを投げか けてるかもしれないという小宮の考えに、多少とも関心を持っていただいたよ うだ。驚いたことに、実際に、お酒ができて、関西でのプロモーションを念頭に おいて、長年お世話になっている方たちや、最近、仕事でお付き合いを始めた 方たちの中に、堺出身の方が、少なからずいたのだ。
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日本酒の名前
益田さんは、ローマ法王に数回謁見していると聞いていた。小宮も、マザー・テ レサの写真を撮った沖守弘さんを通じて、フランチェスコ会経由で、ローマ法王 とのコンタクトは可能かもしれない。沖さん次第だが、、日本酒を、イタリアで、 いや、世界に広めるためにローマ法皇に、日本酒を献上するのはどうだろうか? かつて、コシヒカリで町興しをしようとした神子原村が、ヨハネ=パウロ二世 に手紙を書き正式に献上米としての認可を受けている。(その後、京丹後『ガラシ ャ幽閉の地』のお米『ガラシャ』も同様の扱いを受けている)ならば、堺は、細 川ガラシャの遺骨が、最初に埋葬されたキリシタン墓地があった場所であるから 「ガラシャ=神の恵み」ではどうか?しかし、小宮は、百舌鳥八幡のお神酒だった という益田酒造のお酒の名前が、『金の鳩』(八幡さまのお使いが鳩だったため) だったと知ると、これは、そのまま使うのがべストだと考えた。なぜなら、八幡様 と言えば、武運の神様として、歴史に名を残した武将たちが、戦勝祈願に詣でた神 様だが、今は、鳩と言えば、日本でも、平和の象徴と考えられている。ならば、『 金の鳩』という名前のお酒は、通常のアルコール飲料以上の社会的な機能を果たせ るかもしれない。真っ先に、頭に浮かんだこと、それは、今、ヨーロッパでは、シ リアでの戦争とそれに伴う難民問題を巡ってヴォルテールの「寛容論」が読まれて いる、そういう時代だということだった。そこで、ローマ法王に献上し、この日本 酒に大いに興味を持ってもらうために、鳩のデザインをちょっとアレンジする必要 がある。それは、ローマ法王に献上する日本酒のラベルの鳩は、嘴にオリーブの枝 を咥えていなければならない。これは、言うまでもなく、旧約聖書『創世記』のノ アの方舟について書かれた章で、洪水がおさまったことを確かめるために放たれた 鳩が、オリーブの小枝を咥えて戻ってきたということに由来する。こうして、日本 酒の名前は、「金の鳩」に決まり、オリーブの枝を咥えたものと、そうでないもの 中身がことなる二種類の「金の鳩」が造られることになった。
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そして、PB「金の鳩」がついに
すでに書いた通り、酒造免許を新たに取得するのは容易ではない。では、まず、 「金の鳩」というブランドを復刻しよう。直ちに、益田さんが、商標登録の申請 を行い、お酒は、東京青梅市の小澤酒造の社長にお願いして、造ってもらうこと になった。デザイナーは、ローマ在住の伊澤さん、益田さんとお付き合いのある方 で、ローマでは売れっ子だそうだ。バチカンの仕事もされたことがある、有名な 方だそうだ。ピカソの鳩があまりにも有名なので、嘴にオリーブの枝を咥えた平和 の象徴の鳩は、キリスト教文化圏ではない人たちの多くが、どうも、ピカソのオリ ジナルだと思っているらしい。そうでないことを理解していただき、ようやくデザイ ンが完成。益田さんとの不思議な出会いから約1年後の、2015年12月、ついに、 2種類の「金の鳩」が出来てきたのだ。暮れのお歳暮には間に合わなかったが、益田 さんが関係者の方達に「金の鳩」を送ると、不思議な事実が明らかになった。堺の 博物館の学芸員のYさんが、送った日本酒を持っていってくださったところ、蘇鉄で 有名な妙國寺、海会寺(このお寺は、元々開口神社の近くにあった)そして、開口 神社は、どれも、異国とのつながりを思わせるところで、驚いたことに、益田酒造 の氏神様は、開口神社だったそうだ。開口神社は、ザビエル公園の近くにあって、 この神社の手水鉢にはクルス紋が刻まれている。それから、もう一つ、酒蔵の近く にあって益田さんのお母様がお寺のかたと親しくされていたというお寺の名前が、 阿免寺。これは、隠れキリシタンを匿ったお寺で、戦争で焼けて再建された時に、 作られたという観音様の頭には、十字架が載っているのだ。浄土宗のお寺だが、 「他力本願」の教えにより万人平等救済をし、「宗教は違っても、あつく信仰に 生きる同朋」の思いで温かく迎えた。ということだそうだ。ヴォルテールの「寛 容論」を読んでいるというEUの人たちに、知ってもらいたいものだ。やはり、 益田酒造は、堺という町の歴史と切っても切れない、不思議な酒蔵だと改めて 小宮は思った。そして、来日時に、百舌鳥八幡宮の宮司さんに会いに行った益田 さんは、金の鳩の奉納式をやることを決める。
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まずは、お披露目イベント(イベントのページへ)と奉納式
2016年1月10日、ローマの日本人学校で、ローマ日本人会と在イタリア日本大使 館の共催で開催された新年会で「金の鳩」がお披露目された。そして、このウェブ サイトの制作も開始。イタリアのレミニでは、ジェラートのイベントで「金の鳩」 が紹介される。ジェラートに「金の鳩」を使うというのは、なかなかいいアイデア だ。そして、2月には、イタリア人シェフ、マリオさんが来日して、彼の弟子の店 がある熊谷と川西で、イタリアンと「金の鳩」のマリアージュに挑戦し大盛況だ った。彼らは、「金の鳩」と関係が深い堺と青梅も訪問した。堺では、百舌鳥八 幡宮、博物館、利晶の杜などを訪れ、東京では、「金の鳩」を製造元、青梅市の 小澤酒造を訪問した。そして、百舌鳥八幡宮で、4月10日に奉納式が行われること となった。ウェブサイトのカートを使った販売も、3月中には可能になるだろう。
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そして、今年は、高山右近が福者に、、
昨年、これは決まった。先に、マザー・テレサの列聖が決まり、今年の9月5日 に列聖式が行われるという情報を得たが、さらに、キリシタン大名でもっとも 有名な高山右近も福者になることが決まり、列福式が日本で執り行われるとい うのだ。金の鳩が、百舌鳥八幡宮から飛び立ち、イスラエルのゲッセマネの園 にわずかに残されているオリーブの樹の枝を嘴に咥えて、ローマ法王フランチェ スコの元へ飛んでいく、そして、堺という町が、いかに異教徒に対し寛容であっ たか、平和は、このような寛容さなしには、実現できないものであることを、 耳元で囁き伝えてくれるだろう。そのために、法王への手紙を書き始めよう。
かつて、ノーベル賞を受賞した小説家にして詩人のラードヤード・キプリングが書 いた「東と西のバラード」という詩がある。これは、東洋と西洋の出会いについて 書かれた詩なのだが、その出会いの場であり、長崎とは別の意味で極めて重要な出 会いの場所が、堺であったように思われる。そして、いま、私たちは、このキプリ ングの詩の意味を、再度、考える必要がある時代に生きているのではなかろうか?